植村隆氏は本当に捏造記者だったのか?
植村隆氏は朝日新聞の元記者で、1991年に従軍慰安婦の記事を書いているのですが この記事は実際には元慰安婦がそういう証言をしていないにも関わらず 軍人に強制連行されたという誤った印象を与える内容になっていたことから 慰安婦強制連行デマを広げる原因になったと指摘され ネット時代に入りこのことと彼の名前が幅広く知られるようになると 捏造記者として嫌がらせや脅迫を受けるようになりました。 現在植村氏は櫻井よし子氏や西岡力氏など自身を「捏造記者」と呼んだ相手に対して 名誉毀損訴訟を起こしていますが、ここでは植村氏の記事の問題点と 実際に彼の記事が捏造記事だったのかについて検証を行いたいと思います。 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く 日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に 売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることが わかり、「韓国挺身隊問題対策協議会」(尹貞玉・共同代表、十六団体約三十万人)が 聞き取り作業を始めた。同協議会は十日、女性の話を録音したテープを朝日新聞記者に 公開した。テープの中で女性は「思い出すと今でも身の毛がよだつ」と語っている。体験を ひた隠しにしてきた彼女らの重い口が、戦後半世紀近くたって、やっと開き始めた。 尹代表らによると、この女性は六十八歳で、ソウル市内に一人で住んでいる。 (中略)女性の話によると、中国東北部で生まれ、十七歳の時、だまされて慰安婦にされた。 二、三百人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。 五人の朝鮮人女性がおり、一人に一室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を 付けられた。一番年上の女性が日本語を話し、将校の相手をしていた。残りの四人が 一般の兵士二、三百人を受け持ち、毎日三、四人の相手をさせられたという。「監禁されて、 逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思いつづけた」という。 また週に一回は軍医の検診があった。数ヶ月働かされたが、逃げることができ、戦後になって ソウルへ戻った。結婚したが夫や子供も亡くなり、現在は生活保護を受けながら、暮らしている。 — 植村隆、朝日新聞大阪版27面 1991年8月11日