慰安婦強制連行デマの拡散と植村隆元記者の責任

要点だけを短くまとめます。

植村隆氏は1991年8月11日の朝日新聞に元従軍慰安婦だった女性の記事を書いたのですが
その際に彼女のことを「日中戦争や第二次大戦の際、「女子挺(てい)身隊」の名で
戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」」
として紹介しました。

この文書が捏造だと非難されているのですが、この部分だけ見たのでは
何が問題だったのか理解しにくいと思いますので、詳しく説明します。


まず、女子挺身隊というのは戦時中に実在した組織で、国の命令で強制動員された
未婚女性で組織された勤労奉仕団体のことで、勤労挺身隊とも言われています。
日本国内だけでも16万人が動員されていましたが、朝鮮半島ではそもそも
国の命令で女子挺身隊が集められることはありませんでした。
なお、この女子挺身隊の任務は工場などでの奉仕労働であって、従軍慰安婦とは
何の関係もありません。

ところが戦時下の朝鮮半島では「女子挺身隊(勤労挺身隊)にするという国の命令で
連れて行かれた女性が無理やり慰安婦にされている」という流言が流れていて
これが慰安婦強制連行デマの元になったと言われています。

なぜこういう流言が出てきたのかと言いますと、当時の朝鮮では国の命令で
女子挺身隊が集められることはありませんでしたが、強制性のない募集による挺身隊は
存在したため、それに参加するようにといった周囲の説得から逃れるための口実として
「挺身隊になると慰安婦にされる」という話が使われていたのが原因であると
考えられています。

この流言は相当な範囲に広がっていたらしく、「徴用された未婚女子が慰安婦にされている
という荒唐無稽な流言があるおかげで、半島の人間からは一般の労務募集も
忌避されるようになった」という閣議用の文書も残っています。


戦後に出版された従軍慰安婦を扱った書籍や新聞にもこの流言は登場し
1973年に出版された千田夏光の「従軍慰安婦」という小説には
「挺身隊という名のもとに彼女らは集められた。総計二十万人が集められたうち慰安婦に
されたのは五万人ないし七万人とされている」と書かれています。

他にも読売新聞で、夢屋という劇団が従軍慰安婦を題材にした公演を行うことを紹介した
記事の中で、「昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、日韓併合で無理やり
日本人扱いをされていた朝鮮半島の娘たちが多数強制的に徴発されて戦場に送り込まれた。
彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋や塹壕の中で、一日に何十人もの将兵に
体をまかせた。その存在は世界の戦史上極めて異例とされながら、
その制度と実態が明らかにされることはなかった。」という文章が出てきます。

このように「女子挺身隊(勤労挺身隊)にするという名目で強制的に連れて行かれた女性が
無理やり慰安婦にされている」という話はあくまでも噂話程度の扱いではありながらも
それなりに世間に知られていたものでした。
吉田清治の慰安婦狩り証言もこの流言を利用して売名を目論んだ物であると言われています。

戦後もこういった流言が生き続けた背景には、当時は慰安婦の研究が進んでおらず
彼女たちの実態について殆ど知られていなかったことが原因としてあるのですが
その一方で慰安婦による実際の被害証言というものも存在しなかったため
国の命令による慰安婦強制連行という話はそれなりに知られたものでありながらも
せいぜい噂話の範疇を出ないものであるというのが当時の認識でした。
吉田清治が慰安婦狩り証言をはじめたのは1970年代後半からですが
この時点では彼の証言が事実として扱われることはありませんでした。

こういった状況を変えたのが1991年に植村隆氏によって書かれた慰安婦の記事です。

植村氏の記事は噂話ではなく、元慰安婦本人による実際の証言を日韓のマスコミを通して
はじめて記事にしたものでしたので、世間的にも大スクープの扱いだったわけです。
当時はネットなどはなく、新聞の影響力が現在とは比較にはならなかった時代でしたし
朝日新聞の売り上げは700万部とも800万部とも言われていた頃でしたので
その影響力は計り知れないものがありました。

そんな中で元慰安婦が「女子挺身隊の名で戦場に連行されて慰安婦にされた」と、
これまで噂話として知られてきた強制連行説そのままの状況で連行されて
慰安婦にされたと分かったことで世間は大騒ぎとなり、ここから慰安婦強制連行説は
流言ではなく、被害者の実在する事実であるという話に変わってしまい
世界中に慰安婦強制連行デマが広がる転機になったわけです。

もちろん慰安婦強制連行デマを広げる上でもっとも大きな役割を果たしたのは
吉田清治の証言ですが、それまで被害者がいないからと殆ど相手にされていなかった
彼の証言が90年代以降は事実として扱われるようになったのは植村氏の記事が
きっかけであったことは間違いありません。


ところが、その後元慰安婦が植村隆氏の義母の協力で日本政府相手に
損害賠償訴訟を起こしているのですが、その裁判の訴状の中には
「女子挺身隊の名で戦場に連行された」などという記載は一切見られず
(キーセンの元締めであった)養父に説得されて慰安所に連れて行かれたと書かれており
それ以外の証言を見ても、国の命令で強制連行されて慰安婦にされたと
判断できるものがなかったことから、植村氏が捏造記者だと叩かれるようになったわけです。

慰安婦強制連行デマを世界中に拡散させて何十年にも渡り日本人を苦しめ続ける
原因になった記事が事実に基づかないものだったのですから
捏造だと非難をされたところで自業自得でしょう。


ところが植村隆氏は近年になって自分は捏造記者ではないと反撃をはじめて
裁判まで起こしているのですが、その言い訳は「自分は取材に基づいて正しい記事を書いたが
読者が勝手に誤解したので捏造ではない」という信じられないものでした。

あまりにも酷いのでその言い訳を一つずつ検証していきます。

1.自分は勤労挺身隊の意味で女子挺身隊と言う言葉を使ったのではない。
韓国では慰安婦を女子挺身隊と呼んでいるからそれに倣って慰安婦の意味で使った。

話にもなりません。北海道新聞が元慰安婦が「自分は女子挺身隊だったと名乗った」
と書いたように、韓国人の発言をそのまま引用したのであればともかく
植村氏の記事は自分の言葉で元慰安婦の経歴を説明したものです。
そんな中で慰安婦というそのままの意味を表す日本語があるのに、唐突に女子挺身隊という
韓国の言葉を混ぜて文章を書いたところで読者が混乱するだけですし
そんなことをする記者がいるわけがありません。

植村氏の言い分に従えば、記事中で慰安婦を示す言葉は全て女子挺身隊に
なっているはずですが、記事の中で「女子挺身隊」という言葉が出てくるのは
「連行された」という一節のみで、タイトルや他の部分では従軍慰安婦という言葉を
そのまま使っているのを見てもこの言い訳は不自然です。

また「○○の名で」という言葉は、普通は実際とは違う名目で、という意味で使いますので
「勤労挺身隊の名で戦場に連行された従軍慰安婦」という使い方であればともかく
「慰安婦の名で戦場に連行された従軍慰安婦」では日本語としておかしくなります。

植村氏の言うとおり慰安婦の意味で女子挺身隊という言葉を使用したとする場合
日本語として明らかな矛盾だらけになってしまいますが、勤労挺身隊の意味で
使用したのであれば全く矛盾なく意味が通りますし、だからこそ読者は
女子挺身隊という言葉をそのまま勤労挺身隊の意味で受け取り
元慰安婦はこれまであった噂のとおり、女子挺身隊(勤労挺身隊)にするという名目で
強制連行されて慰安婦にされたと解釈して、強制連行デマが広がったわけです。
韓国では慰安婦を女子挺身隊と呼んでいるということは後付の言い訳にしかなりません。

2.自分は連行と言っただけで強制連行とは言っていない

これも話にならない言い訳です。連行と言うのは本人の意思に関係なく連れて行く
ことですので、強制という言葉がつかなくても強制のニュアンスが含まれます。
違うと言うのであれば強制の意味合いを含めずに連行という言葉を使って例文を作ってみろ
という話にしかなりません。
通常の用法を見ても連行という言葉は軍人や警察など権力側の人間に連れて行かれるか
民間であっても暴力団などに無理やり連れて行かれる場合にしか使いませんし
養父に説得されて連れて行かれたという話に連行という言葉を当てはめるのは
日本語の用法として明らかに不自然です。

3.連行と言うのは慰安所に着いてから軍人に連れまわされたという意味だ

さすがに言い訳が苦しくなってきたようで、最近は訴状の中に元慰安婦が最初の慰安所から
別の場所に何度か移動させられたと記載していたことに目をつけてこういう言い訳に
変えてきたようですが、慰安婦になった後で最初に居た慰安所から別の場所に
移動することがあったという話を「女子挺身隊(植村氏のいう慰安婦)の名で戦場に連行された」
などと表現するのは誰が見たところで不自然でしょう。

4.日本でも自分の記事以前に慰安婦という意味で女子挺身隊という言葉が使われていた

これは大嘘です。先に挙げたように「女子挺身隊(勤労挺身隊)にするという名目で
連れて行かれた女性が慰安婦にされていた」という流言に触れた新聞や書籍の中で
勤労挺身隊の意味で女子挺身隊という言葉が出てきただけで、日本国内で女子挺身隊という
言葉が慰安婦と同じ意味で使われていた事実などはありません。

5.北海道新聞が女子挺身隊という言葉を使っていた

それは元慰安婦の「自分は女子挺身隊だった」という言葉を引用しただけです。
韓国では慰安婦を挺身隊と呼んでいるのは事実ですし、本人の言葉をそのまま引用
したのであれば何の問題もありません。
引用以外の文章で慰安婦という意味で女子挺身隊という言葉を使っているのは
植村氏一人しかいません。

6.慰安婦強制連行を最初に記事にしたのは自分ではない

何度も言いますが、植村氏の記事以前の慰安婦強制連行の話は
戦時下の朝鮮半島で流れていた噂について、そういう話があるとして書かれた物です。
「女子挺身隊にするという名目で強制連行された女性が慰安婦にされている」という流言は
実際に存在したものですし、慰安婦の実態について詳しく知られておらず
検証が難しかった時代に誤った情報をそのまま記事にしたところで誤報にしかなりません。
それに対して植村氏の記事の「取材した元慰安婦は女子挺身隊の名で戦場に連行された」
という話は本人も誰も語っていない経歴ですし、取材で得た情報とは異なる話を創作したので
捏造だと非難されているわけです。

7.産経新聞も元慰安婦を強制連行被害者だと記事にしている

確かに産経も1991年と1993年に元慰安婦の記事を書いていますが
1991年の記事は植村氏の記事の4ヵ月後に書かれた物ですが、植村氏の記事を元にして
元慰安婦を強制連行被害者だとして紹介したもので、内容も植村氏の記事そのままです。
強制連行デマが広がって以降の1993年の時点では元慰安婦が証言の内容を
過激な内容に変えていますし、その証言をそのまま記事にしただけです。
どちらも何らかのソースに基づいて書かれた物で、ソースが間違っていただけの話ですので
誤報にしかなりません。本人が語っていない経歴を記事にする捏造とは違い、誤報の責任は
虚偽の情報を提供したソース元にあります。

8.櫻井よし子が元慰安婦が40円でキーセンの学校に売られたと言う話を捏造した

この話は訴状には書かれていませんが、親からキーセン学校に売られたという話は
本人が記者会見などで繰り返し証言していますし、40円という具体的な金額も
挺対協の調査に対して答えたもので、当時の慰安婦の証言集にも載っています。
櫻井氏がこの話を訴状に書かれていたと言ったのはソース元を勘違いしただけで
元慰安婦本人が語っていることに間違いはありませんので捏造にはなりません。
一方植村氏の記事にある元慰安婦が女子挺身隊の名で戦場に連行されたという話は
本人も誰も語っていない虚偽の経歴です。

9.櫻井よし子が40円で売られたという話のソース元にした週刊宝石には元慰安婦が
軍人に拉致されたような文章が載っているが櫻井よし子はそれを無視した

親からキーセンの学校に売られたという話は、本人の証言の中で一貫していますが
養父に連れられて慰安所に着いて以降の話に関しては、慰安所のある集落で養父と別れた、
自分の引渡しに養父が着いてきて軍人に暴行を受けたなどと一貫していませんし
強制連行デマが広がって以降は軍人に拉致されたなどとコロコロと証言を変えていますので
この部分に関しては慰安婦問題の研究者の間でも証拠にはならないと言われています。
慰安婦の研究の進んでいなかった時代であればともかく、現代であれば信用のできない
証言部分については取り上げないのがジャーナリストとして当たり前の態度でしょう。

10.西岡力は元慰安婦が養父に身売りされたと訴状に書かれていない話を捏造した

訴状には元慰安婦は「そこへ行けば金儲けができる」と養父に言われて何の仕事をするのか
知らされないまま、遠方の中国の慰安所のある集落に連れて行かれて、そこに着いた時点で
養父と別れたと答えています。この状況では養父に身売りされた以外の解釈はできません。

11.慰安婦強制連行デマを広げたのは自分の記事が原因ではない

これも嘘です。当時の朝日新聞の発行部数は700万部とも800万部とも言われていた
時代ですので、その中で書かれた記事に影響力が無いわけがありません。
さらに植村氏の記事は日韓のマスコミを通してはじめて元慰安婦の取材に成功したと
言うものでしたので世間的に注目を集めないはずがありません。
また元慰安婦はその後の記者会見や訴状では国の命令で強制連行されたという
証言などしていないのですから、植村氏の記事がなければ彼女が強制連行被害者として
扱われて強制連行デマが広がる余地などありませんでした。
その後産経も植村氏の記事に騙されて、元慰安婦を強制連行被害者だという内容の
後追い記事を書いていますし、吉田清治の証言が植村氏の記事の後に
急にクローズアップされるようになったのを見れば自分の記事が慰安婦強制連行デマとは
無関係だったなどとは言えないはずです。


いかがでしょうか?
植村隆氏は元慰安婦の「養父に説得されて慰安所に連れて行かれた」という証言を
「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と書き変えたことで慰安婦強制連行デマを
広げるきっかけを作っておきながら、自分は取材に基づいて正しい記事を書いたが
世間が勝手に誤解したので捏造ではないと居直った挙句、自身の記事を非難した
相手に対してお前が捏造記事を書いたなどと頓珍漢な言いがかりをつけているわけです。

とはいえ民事裁判などは弁護士の腕次第で結果はどうにでもなりますので
場合によっては植村氏が勝訴をする可能性もあります。
ただし勝訴したところで、植村氏が事実とは異なる内容の記事を書いて世界中に
慰安婦強制連行デマを広げるきっかけを作ったという事実には一切変わりがありませんし
捏造でなければ新聞記者として許されないレベルの重大な過失を犯したという
話にしかなりません。

仮に植村氏が勝訴した場合でも、今後は捏造記者ではなくデマ記者として今まで以上に
厳しい批判をしていく必要があると思います。

























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